2015/02/26

「池袋雑司が谷から清瀬市まで24kmの徒歩旅行」の詳細

先日行った「ひとり遠足・清戸道の巻」の詳細を記述してみました。

単なる遠距離のウォーキングといえばそれまでなのでありますが、記録的な意味もあり、報告書っぽく、わざと堅苦しいテイストで書いてみました。

災害発生時の徒歩での
帰路としての清戸道
~帰宅困難者シミュレーションのための実踏~

実踏実施日 平成27年2月25日

出発地点 池袋駅東口(豊島区)

到着地点 清瀬駅北口ロータリー(清瀬市)

主な経由地 
雑司が谷鬼子母神、不忍通り清戸坂、学習院、落合、豊玉陸橋、練馬駅前、西武池袋線沿線、落合川、黒目川

経由する行政区
豊島区、文京区、新宿区、中野区、練馬区、西東京市、新座市、東久留米市、清瀬市

詳しい行程と時間

10:30池袋駅東口 10:40雑司が谷鬼子母神 11:00清戸坂の坂下の道標(日本女子大の裏門付近) 11:15目白駅 11:30目白通りと山手通りの交差点
(ここまで約1時間)

11:40西落合1丁目交差点右折落合南長崎駅 12:05新江古田駅 12:12豊玉陸橋 12:25練馬区役所
(ここまで約2時間)
おおよそ2時間までは、速度を意識した歩行。その後はスピードダウン。

12:30豊玉北六丁目交差点左折 12:45中村橋駅 12:55富士見台駅 13:15練馬高野台駅 13:30石神井公園駅
(ここまで約3時間)

13:35駅付近で食事休憩 14:00石神井公園駅近辺から出発 14:20タムラ製作所前通過 14:30大泉学園駅付近 14:00シマムラ前通過 15:00保谷駅
(ここまで約4時間 、休憩を含まない歩行時間のみ)
食後は、速度を意識しない歩行。

15:35ひばりが丘駅入り口付近 15:40栗原付近のヤオコー

以降、東久留米大門大橋、黒目川、小山遺跡、清瀬駅南口 16:45清瀬駅北口到着

全道程の所要時間は、およそ6時間
休憩を含まない実質歩行時間は、およそ5時間30分

長距離歩行による身体への影響の覚え書

・歩行中、休憩を必要とする気持ちとはならなかった。
(唯一休憩し、座ったのは食事をとった食堂のみ。)

・4時間を越える頃、頭痛が発生し、ずっと続く。

・5時間を越える頃、右足の膝頭に痛みを感じ、ずっと続く。この痛みは、その夜にひどくなった。翌朝おさまったが、午前中まで軽い痛みが続いた。

・帰宅後、ごく軽い嘔吐感。(長時間運動したためか?)

ヒストリカルな背景

東京都文京区の不忍通りと目白通りが交差する場所に位置する「清戸坂」は、当時の清戸村(現在の清瀬市)へ続く坂として呼ばれ、さらに、ここから始まる道(現在の目白通り)は清戸道と呼ばれていた。

この道は、江戸時代、将軍の鷹狩りの道とされ、清戸の農民により江戸に向かう道として利用された。

清瀬の農民は、野菜を荷馬車に積み、現在の江戸川橋近辺で売りさばき、帰路の荷馬 車には、江戸の町民の肥やしを載せて持ち帰っていたと伝えられている。

帰宅困難者の予行練習としての意義

今回の実踏は、こうした歴史的な意義を持った江戸から西へ伸びる古道を確認するとともに、防災の視点から、東京直下型の地震が発生した場合の徒歩での帰還のシミュレーションの意味を持つ。

ただし、内閣府の首都直下地震帰宅困難者等対策協議会が提示するガイドラインによれば、地震発生直後の一斉帰宅についてはきわめて抑制的であり、「むやみに移動を開始しないこと」が繰り返し記述されている。

同ガイドラインによれば、企業等は「一定期間事業所内に留めておくよう努めるものとする」と記述されている。

従業員を一定期間とし、備蓄は最大3日分としており、つまり、最大3 日間は徒歩での帰宅も抑制されるということである。

<参考>
「3日分 被災者の救急・救助活動、消火活動等の災害応急活動を優先する発災後72時間は、帰宅困難者等の大量発生による混乱や事故等を防止するため、従業員等を事業所内に留めることが望ましく、3日分の備蓄が必要となる。」
「首都直下地震帰宅困難者等対策協議会最終報告 第2章 一斉帰宅の抑制(平成24年9月10日)」より引用